JOURNAL

イタリアにいました

Mar 08, 2022
イタリアにいました

先日イベントでお会いしたお客様から、デザイナーはイタリアに在住なのか、というご質問をいただきました。
今まであまりブランドについて書くことがなかったので、今日はブランドのバックボーンでもあるイタリアのことについて少しお話ししようかと思います。

ちょうどつい数日前に、ミラノファッションウィークが終わりました。
年に2回、2月と9月にミラノファッションウィークは開催されます。ちょうど2年前の2月のミラノコレクションの真っ最中にイタリアでコロナ感染による初の死者が出た、という衝撃のニュースにイタリア中が騒然となりました。
ちょうどその少し前、日本でダイアモンドプリンセス号の問題があったことから、日本やアジアからの出版関係者やバイヤーたちが直前になって渡航を取りやめるという事態になっていました。

私はそのときミラノにいました。
ジュエリーのブランドを始めてからはミラノを拠点としながら、2、3ヶ月おきに日本を往復するような生活をしていました。
それまでは、主に日本のファッション誌のコーディネーターの仕事をメインとしており、ジュエリーを作り始めてからも時間があえばお仕事をさせていただいていました。 ちょうどそのニュースを聞いたのも展示会周りの移動の車の中でした。 その瞬間までは遠いアジアでのウィルス騒動で、対岸の火事だったはずが、一瞬にして街中の空気感が変わった時のことを今でも忘れられません。

ご存知の通り、西欧諸国でいちばん初めにパンデミックの被害が広がった国がイタリアです。
特にミラノは最初に感染が拡がったとされるコドーニョという町からわずか60km程です。 それまでネットやテレビで観ていた武漢の道で突然人が倒れたり、宇宙服のような防護服に身を包んで買い物に行くような状況になってしまうのか、一体どう行動していいのかすら皆わからずとにかく街中がパニック状態でした。 夜通し鳴り響く救急車のサイレン音、薬局からはマスクと消毒液がなくなりスーパーのパスタと冷凍食品の棚は空。すれ違う人たちはお互いを不審な目で睨み合う。
会期真っ只中だったミラノファッションウィークもジョルジョ アルマーニのショーが急遽無観客となり、ブランドのオフィスも突然休業になり展示会も会期途中で中止となってしまいました。

私は元々ミラノファッションウィーク直後に日本に行く予定だったので、それから1週間もせずにミラノを出発しました。
その時点ですでにマルペンサ空港はほとんど旅行客がいない状態でした。フライト自体はまだ平常通りで、まさかその時は数日後にはイタリアの空港自体が閉鎖になってしまうなんて想像もしていませんでした。

マルペンサ空港に向かう電車の中

日本に帰国して間もなく、イタリアの周辺国がイタリアとの国境を閉鎖、イタリア国内では初のロックダウンが始まりました。 すぐにミラノに戻る予定の便がキャンセルになったという連絡があり、日程を変更しても数日後には再びキャンセルという繰り返し。いつミラノに戻ることができるか、先の予定が全くみえない状況のまま4月に入ってしまいました。
日々悪化するイタリアの状況を毎日ネットでみながら胸が締め付けられるような思いでした。
そして、色々と悩んだ末、今までのような日本とイタリアを往復する生活はこれから難しくなるだろう、と思い日本に拠点を移すことに決めました。

季節は夏になり、ミラノへの便も復活しイタリアの状況も落ち着いたので、やっとミラノの我が家に戻ることができました。それから2回イタリアと日本を往復し、コロナ禍の国をまたいたお引越しを無事完了することができました。 最後はイタリアが再びロックダウンに突入してしまい、急なフライトのキャンセルを避けるために予定を早めての帰国。
最後にやりたかったこと、会いたかった人、行きたかったところ、食べたかったもの、22年間のイタリア生活を締め括るには悔いが残りまくりの最後でした。

それまではイタリアを拠点にデザインを行い、生産は日本、というスタンスでブランドをやっていました。
イタリアにいた時はインスタグラムでイタリアの生活をストーリーにあげたりして、それを楽しみにしていただいてる、というお声もいただいたりしてました。

元々、イタリアや海外というキーワードを全面に出して勝負するようなブランディングにはしたくなかったので、拠点がかわったことはあえて言うことでもないかな、と思ってました。 また、私自身、人生で一番長く生活をしたミラノをこんなにあっけなく去ることになるとは全く想像もしていなく、なんとなく気持ちの整理ができないままでいた、ということもあります。

あれから早2年。 すこしブランドの背景についても知ってもらいたいと思うようになり、日本に拠点を移すことになった経緯を簡単にお話しさせていただきました。 ジュエリー制作について学んだのもイタリアで、ブランド自体をスタートさせたのもイタリアなので、拠点が移ったとしても今後もどこかしらイタリアのエッセンスが入っていたり、イタリアネタをちょこちょこ出すこともあるかと思いますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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